心合寺山(しんおんじやま)古墳は、近鉄信貴線服部川駅のきた徒歩15分の所に位置します。
この古墳は環濠のある前方後円墳で、5世紀頃のものといわれ、標高約30mの扇状地の緩傾斜面にあって南向きである。墳丘南北の長さ130m、後円部の高さ11m、その直径40.7m、前方部高さ8m、幅50.6mで中河内最大のものです。この種の古墳の大阪府下における北限として知られている。この古墳が等高線上に沿うて造られているために、その周囲の濠は南側、北側の2ヶ所で堤を造って区切り、水位を違えていることも傾斜面に立地する原因である。
楽音寺部落の東方にある西ノ山古墳は古墳時代前期に属し後円部の径と前方部の長さとは、ほぼ等しいのであるが、この古墳においては、前方部に長く延びて後円部の径の2倍近くになっている。以上のような立地、墳型から、この古墳はその最盛期である古墳時代中期のものと考えられる。この古墳の西約200mに鏡塚があり、この古墳の陪家ともいわれている。
この地の東方約180mの高地に玉祖神社が鎮座し玉造連の祖始を祀っている。したがってこの地域に玉造連が居をかまえ、玉を製作する部民を支配していたところである。これらのことから、この古墳はこの地の豪族であった玉造連の有力者のだれかを葬ったものと考えられる。
心合寺は俗にシゴジとも発音され、そのような称呼の寺がこの辺りにあったので、この名が残ったようである。時に西側の濠の中や西方の畔道から奈良、平安時代の古瓦が発見されている。
(古墳入り口看板より)
後円部 主体部(西槨北部分)の調査概要
その付近には、縫い針と思われる針状鉄製品(6本、直径約1〜2mm最大長約4.5cm)や竪櫛(漆皮膜断片のみ残存)がありました。さらに、棺内中央部には、勾玉(ヒスイ製2点、大きさ約3cm・富山県糸魚川産)、管玉(碧玉製大2点、直径約9mm・長さ約3cm・石川県産)が連なった状態で出土しています。
そして棺内南側には、東側壁に三葉環頭大刀(長さ約85cm・古式の三葉環頭)、短刀(長さ約30cm・環頭大刀の上に載せられていた)、西側壁に長剣(長さ約80cm・三本重なった剣のうち一番上に置かれていた)、
鹿角装鉄剣(長さ約50cm・長剣の下に置かれていた)短剣(長さ約25cm・3本の鉄剣のうち最下層に置かれていた)が置かれていました。
これらの刀剣類は、被葬者の両脇から両腕部分の付近に置かれていたものと考えられます。
前方部 方形壇状遺構下層の調査概要
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