新方遺跡(神戸市西区)


 新方遺跡は、明石川と伊川の合流する地点の北側、標高8〜10mの沖積地に位置しています。 昭和45年に山陽新幹線建設に伴う調査で発見されました。これまでの調査で、旧石器時代 から江戸時代にいたる複合遺跡であり、東西1.5km、南北1kmの広がりを持つことが判明 しています。豊富な遺構や遺物が検出されており、各時代を通して、重要な集落であった事が 伺えます。特に新方遺跡を特徴付けるものとして、古墳時代の玉造工房集落、大形の堀立柱 建物群、弥生時代の大規模な方形周溝墓や近畿地方最古の弥生時代前期の人骨の検出などがあげられます。また人骨では弥生時代で11体、古墳時代で15体と非常に多く検出され、特に平成9年の調査では、弥生時代初め頃の3体の人骨が検出され、縄文人的な骨格の特徴(低身長で頭骨が頑丈で大きい)を持っていて、体には石鏃が撃ち込まれていました。

これまで畿内でこの時期の人骨が見つかったことはなく、また、争いによって死亡したと考えられ、弥生時代は農耕をもとに社会形成が始まり争いが絶えなかった時代で、戦闘の開始は、近畿ではこれまで、弥生中期以降と考えられていましたが、九州と同じように弥生前期の早い段階までさかのぼることがわかりました。またうつぶせに埋葬されており、この埋葬法は、山口県豊浦郡の土井ヶ浜遺跡で一例確認されているだけで、敵か身分の違いなどから顔を見せないようにしたのではないかと考えられています。 野手・西方地区の調査は、震災復興事業の一環として、住宅供給を目的とした土地区画整理 事業を行うために実施している。遺跡の範囲確認調査です。今回の調査対象面積は約800平方メートルで、現在までに、古墳時代の竪穴住居や堀立柱建物群、弥生時代中期の区画溝、土坑、墓 などが検出されています。



立 地


 これまでの調査結果から、弥生時代から古墳時代の地形を復元してみますと、事業区域の ほぼ中央に低湿地が存在し、遺構や遺物の出土がほとんど見られない場所があります。 弥生時代前期には、低湿地の両側に一段高い微高地が東西に存在し、特に東側の微高地上から 多数の遺構が検出されています。西側では、調査区が微高地の縁辺部に辺り、方形周溝墓などの埋葬遺構などが検出されました。このことから、低湿地の食料などの生産域に利用し、微高地に生活域や墓域を設けていたことが伺えます。弥生時代の住居は、前期の竪穴住居が一棟確認されているのみで、居住域の場所は明確ではありませんが、区画溝や土坑に多量に廃棄された遺物量から、近接した場所に住居群が存在することが考えられます。弥生時代中期になると、低湿地が洪水層で埋まってしまい、古墳時代に至るまで、ほぼ水平な堆積状況が確認されています。弥生前期に掘られた区画溝も一部埋められ、土地利用に変化があったことが確認されています。遺構野分布は、両側の微高地上に密集しており、低湿地であった箇所は、水田などの食料生産域として利用していたようです。

今回の調査   平成11年11月14日



 現在、調査を行っている遺構面は、現在の地表面からわずか50cm下で検出されました。

本来はもう少し堆積していたと考えられますが、今回の調査区は、古墳時代中期に大きく削平を受けているために、弥生時代前期から古墳時代前半の遺構が、非常に浅いところから検出されました。

調査中であるため詳細は不明ですが、多量の遺物が出土している弥生時代中期の区画溝や古墳時代前期から中期の竪穴住居などの他に、弥生時代前期から古墳時代中期の埋葬施設が検出されました。



今回は、埋葬施設から出土した人骨を中心にご説明いたします。


人骨の概要



*第8号人骨(古墳時代中期)




長辺役25cm、短辺46cmの大きさの方形の墓坑から検出されました。一般の女性で、ラムダ統合、冠状統合の線がわからなくなっていることなどから、死亡年齢は熟年(40〜60歳)です。

埋葬姿勢は仰向けで、手足の骨が関節部分で切られ、正座した状態で後ろに倒した姿勢で出土しました。頭位は東方向です。頭蓋骨は、顔の部分が土圧で陥没していますが、女性にしては頑丈で厚さもあります。

顔付きは、寸詰まり気味で頬が張り、平たい顔立ちをしています。一方、身体は華奢で、身長が145〜150cmと、この時代の女性としては小柄です。また、右の奥歯には強い咬耗(磨り減り)が見られ、咀嚼(噛み砕く)以外に、獣皮やひも状のものをなめすために、歯を使っていたようです。
これまで、古墳時代の人骨は、古墳などの埋葬施設(石室、石棺、木棺など)から出土した資料がほとんどで、有力者の人骨資料しかありません。今回のように、一般の人々の人骨が良好な状態で出土した貴重な例です。
 

*第9号人骨(古墳時代中期)


左右の腕の骨(上腕骨・尺骨・橈骨)のみが検出されました。左腕は肘を強く曲げ、右腕は左腕の上にのばしており、交連した状態(関節が繋がった状態)で検出されました。他の部位の骨は検出されませんでした。特に肉の部分が残っていたために保存処理のために今回は公表されませんでした。
 

*第10号人骨・第11号人骨(弥生時代中期以前)



幅260cm、深さ60cmの溝の底から、長辺97cm、短辺65cmの不定円形の土坑が検出されました。その土坑から、2体の人骨の痕跡が検出されました。2体共、非常に保存状態が悪く、かろうじて骨の痕跡を留める程度でしたが、数本の歯のエナメル質が残されていました。頭位は共に北方向です。上下の歯を噛み合わせた状態で検出された第11号人骨は20歳以上の成人だと考えられます。溝の底に墓坑を設ける例は、周溝墓の周構内によく見られますが、溝の規模や、直行する溝が30m以内にないことから、単独の溝であると考えられます。平成9年度の調査で、溝の規模は小さいですが溝の底に墓坑を設ける例が確認されており、同様の遺構ではないかと考えられます。
 

*第12号人骨(弥生時代前期)



長辺226cm、短辺90cmの方形堀形に長辺190cm、短辺58cmの木棺の痕跡が検出されました。

棺内で検出された人骨の保存状況は良好で、ほぼ全身の骨が残っています。身長160cm前後の男性(30〜40歳)で、うつ伏せの埋葬姿勢で埋葬されています。頭位の方向は南ですが、顔は西側を向いた状態で検出されました。右上犬歯がなく、抜歯をしていると考えられます。歯槽性突顎(上顎の前の部分が突き出ている状態)がかなり強い顔立ちをしています。

左腕は折り曲げられており、右腕は肩甲骨の上で検出され、原位置を留めていません。両脚は複雑に交差しており、特異な埋葬姿勢です。また、棺内から石鏃が1点出土していますが、人骨との関係は明らかではありません。
 



*第13号人骨(弥生時代前期)



長辺191cm、短辺97cmの方形掘形に長辺159cm、短辺62cmの木棺の痕跡が検出されました。


棺内で検出された人骨の保存状況は、極めて良好で、頭蓋骨の右顔面部分を失っていますが、左下肢骨以外は全身の骨格が原位置を保っています。頭位は西方向で、第12号人骨と、埋葬方向が直交しています。死亡年齢は50〜60歳で、身長155cm程度の女性です。膝は強く曲がり、仰向けに埋葬されています。臑骨は扁平で、腓骨は大きく、第12号人骨と比べると、縄文人的な要素を残しています。左大腿骨と、臑骨・腓骨の位置が不自然で、本来、両膝を立てて埋葬されたものが、移動した可能性が高いと考えられます。腰椎に異常な増骨腫が見られ、骨肉炎かと思われる病気による変形と考えられます。また同時にその病変部の近くにはイノシシの牙と思われるアクセサリーのような遺物もあり、痛みを和らげるお呪いの役目でおかれていたかもしれません。恥骨の前方または右大腿骨付近で、石鏃が検出されましたが、出土位置から、人骨に伴う遺物であるか不明です。
 

まとめ

 同一の遺跡内で、弥生時代前期から古墳時代の人骨が、良好保存状況で見つかり、第1次調査の成果とあわせ、同一地域での、人骨の形質学的変化を確認できる資料を得ることが出来ました。弥生時代の人骨である、第12号人骨、第13号人骨に関しては、近畿の弥生時代人骨の中では、もっとも保存状況がよく、当時の人々の体形や顔立ちが確認できる資料といえます。近畿では、弥生時代前期の人骨資料がほとんどなく、当遺跡で複数体出土していることは、前回の資料を含め縄文時代から弥生時代にかけての人々の形質的な変化の実態を明らかに出来る資料であるといえます。今回検出された弥生時代前期の人骨(第12号・第13号)は、後の古墳時代人などを彷彿とさせる特徴を持っており、うつ伏せ埋葬、抜歯など、第一次調査で検出された人骨との共通点はありますが、形質的には、縄文人的な要素は希薄です。双方を比較することにより、時期差が人々の身体特徴の変化に影響を与えた可能性を考えるために、有効な資料といえます。第12号人骨は、腰椎に病気による変形と考えられる異常な骨増殖がみられます。古人骨で病気の痕跡が確認できる例は珍しく、弥生時代に人々の病気について考える上で、非常に重要な例となります。埋葬施設に関しては、伝統的(縄文時代的)な埋葬姿勢(屈葬)で、幅が広く短い木棺に埋葬される事例(第13号人骨)と、大陸の影響を受けた埋葬姿勢(伸展気味)で、細長い木棺に埋葬される事例(第12号人骨)が確認されました。埋葬方向は、互いに直交しており、人骨の形質にも差異が見られることから、この違いは、系統(出身集団)の違いを示しているのかも知れません。弥生時代開始期の異集団交流や、集団の成り立ちを考える上での好資料といえます。古墳時代の第8号人骨は、古墳時代の集落内の墓から検出された極めて珍しい例です。現在までに確認されている古墳時代の人骨は、有力者の墓である古墳の埋葬施設からの出土したものがほとんどで、今まで明らかではなかった一般の人々の姿や埋葬姿勢を復元できるかけがえのない資料であるといえます。
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