万葉余聞 第九回

神域其の一


 この連載も、いつの間にか第八回を終えた。特に何の気負いもないけれど、
何時の頃からか大きな忘れ物をしているようで、 私自身多少悶々としていた。
それは、歴史の根源ともいうべき神話の世界である。これは避けては通れないだろう
という思いがずっとしていた。
 しかし史学界においても、又、一般論としても、現実味に欠けるという理由で
ともすれば軽視されがちな領域ではあるけれど、とにかくこの「神域」なるものを
駆け足で垣間みてみよう。読者諸兄には多少退屈かもしれないけれど決して無駄にはなるまい。

 日本神話つまり神々の由来については一本の糸で繋ぐという訳にはいかず、極めて
複雑な構成と展開を見せる。
古事記(七一二年)、日本書紀(七二〇年)の成立以前に言い変えれば大和朝廷成立以前に、
およそ三系統の神話が伝えられていたと考えてよいのではないかと思う。

第三の系統は神代七代と一般的にいわれる。

 日本神話の根幹を為すところの神、つまり高天原(たかまがはら)の
支配者で皇室の祖先神である最高神の天照大神 (あまてらすおおみかみ)は
実のところ最初に現れた神ではないのである。又、更に難解にしているのは
古事記・日本書紀共に神話表記に食い違いがある うえに日本書紀は本文のほかにも
多くの異伝を伝えていること。漢字表記も異なる。

古事記・・・天皇家の私的な記録及び物語集といえるものであり、
      従って一貫性のある物語の形をとっている。

日本書紀・・朝廷の公式の歴史、つまり天皇家の尊厳性を強調する形をとっている。

 前期の三つの系統の神々について説明を加えるとすると、第一の系統の天御中主尊は
天の中心に創造神が生まれたとする。 天界をを意味する。
第二の系統の可美葦牙彦舅尊は、泥のような大昔の地表から葦のようなものが
生まれて神になったとする。地上を意味する。
第三の系統の国常立尊は天地が分かれる前の原初の混沌のなかに巨人の姿をした
神が出現したとする。天と地が分かれる混沌に 神が生まれたという。

 日本書紀は神代七代の最後に伊弉諾尊と伊弉冉尊の夫婦が現れたとする。
この二柱の神が大八州(おおやしま)・日本を作ったのちに最高神・天照大神が誕生する。

 七世紀後半に中央政権化が進むと、天皇家は天照大神を国全体の守神(まもりがみ)として
なかば強制的に位置づけようとしたと思われる。それは「大宝律令」という法により、豪族達は
天照大神を祭る朝廷の祭祀にいやおうもなく参加させられて行く課程が見られるからである。
日本の神々はこのような状況のなかで徐々に整えられてゆくことになる。従って天皇家以外の
多くの豪族達のそれぞれの祖先神はしんわの体系のなかから切除されてゆくこととなり、
天皇支配の由来を説く為の必要最小限のものだけが日本神話に取り入れられることになったの
ではないだろうかと思われる。

 さて本題に入ろう。神代七代の最後の夫婦神、

   伊弉諾尊(イザナギノミコト)
   伊弉冉尊(イザナミノミコト)

この二柱の神が国作りをしていくことになる。

 この二柱の神の出現で神話は急速な展開を見せ始める。とても原文ばかりという訳にも
いかないのでその都度重要と考えられる部分は原文で書き表し、その他は出来得る限り口語文で
書き表すことにする。又、漢字表記も煩わしい部分は私の独断と偏見によりカタカナ表記とする。

*天神(あまつかみ)はイザナギとイザナミの二柱の神に泥のようになって漂っている国を
正しい形にするように命じ、天之瓊矛(あまのぬぼこ)を与える。その矛で地上をかきまわし、
引き上げると矛の先から滴り落ちた塩が積もって島となった。それをオノコロ島という。

二柱の神はこの島に天降りて天之御柱(あまのみはしら)をたてた。

*陽神(おがみ)、陰神(めがみ)に問いて曰く、「汝(いまし)が身に何の成れる所かある」。
(こた)へて曰く、「吾(あ)が身は具成(なりな)りて陰元(めのはじめ)と稱(い)
者一處(ところひとところ)あり」。陽神曰く、「吾が身も亦た具成りて陽元(おのはじめ)と
稱ふ者一處あり、吾が身の陽元の處を以て、汝が身の陰元の處に合わせむと思欲(おも)ふ」と

「夫婦が国作りをするに際して、イザナギはイザナミに私とお前と身体の違うところがあるかと
聞くと、イザナミは、私には女陰があると答える。イザナギは、私には男根がある。
それでは男根を女陰に合わせようではないか 」と

 原文で引いたのは、次の展開が大変示唆に富んでいるからである。それでは先を急ごう。
イザナギとイザナミは身体の違いを確認したあと、天の御柱をイザナギは右にまわり、
イザナミは左にまわり、出会ったところで交接することにしてまわり始めた。出会ったところで
女神のイザナミが「あなにやし、えおとこを」(何と素晴らしい男でしょう)といい、男神の
イザナギが「あなにやし、えおとめを」(何と素晴らしいおとめでしょう)といった。そして、
セックスのあとで生まれたのが蛭児(ひるこ)・不具の子であった。次に生まれたの子も
満足な子ではなかった。それで二柱の神は天に昇り神々の教えをきくことにした。

 天神が骨を焼いて占うと「イザナギ(男神)がまわり方を逆に左からまわり、声を掛けるのは
男の方からせよとでた。それで、イザナギが教えの通り左からまわり、先に「あなにやし、えおとめを」
と声を掛け、イザナミが右からまわり後から「あなにやし、えおとこを」と声を掛けた。
すると次々と良い子が生まれた。」



万葉余聞 第十回

神域其の二


前回において、イザナギ・イザナミこの夫婦神による国作りにおいて
大変示唆に富むと書いた。読者諸兄もお気付きとおもうが、 女神イザナミ
が天之御柱を左回りして「あなにやし、えおとこを」と先に声を掛けて交接
に及んだ結果、蛭子(不具の子)が生まれるという事態に至る。これは
要するに、結婚生活においても、その他のことについても男性が 主導権を
持つべきとする男尊女卑の考えに基づくもので儒教史観が横溢していると
考えられる。それにしても神代(かみのよ)の物語の筈であるのに、何とも
世俗っぽいというか、人間臭いというか、それがかえって我々にして みれば
親近感が持てるのである。

言うまでもなく今度は男神イザナギが天之御柱を左回りにして先に声を掛ける。
そして次々に島を生んでゆく、まず淡路島がで きた。ついで四国、隠岐、九州、
壱岐、対馬、佐渡、本州の順番で国が生まれた。これらを合わせて大八州(おおやしま)
という。このあとイザナギ・イザナミは自然をつかさどる神々を作る。ここまでは
「古事記」伝にする。
「日本書紀」第六の一書・最もまとまった形で神々の誕生を記しており理解しやすいと思う。

先ず風の神「級長戸辺命(しながとべのみこと)」次に穀物をつかさどる「倉稲魂命(うかみたまのみこと)
海の神「少童命(わたつみのみこと)」山の神「山祇(やまつみ)」ついで海峡を守る神である
「速秋津日命(はやあきつひのみこと)」次に木の神「句句廼馳(くくのち)」そして土の神
「埴安神(はにやすのかみ)」が生まれた。このあと火の神である「軻遇突智(かぐつち)」が生まれたが、
イザナミはその出産のときに焼かれて死んでしまう。

イザナギは怒って妻の死の原因となった軻遇突智を斬り殺すが途方にくれる。自分一人の
力では何もできない。妻を呼び返す為、黄泉国(よみのくに)死者の国を訪れる。
 

黄泉国
イザナギが黄泉国の入り口で妻の名を呼ぶと生前と何ら変わらぬ美しい姿のイザナミが現れた。
イザナギは必死になってこちらの世界・地上に帰って来て欲しいと頼む。しかしイザナミは
寂しい表情でこのように語る。

(よもつへぐい)をしてしまったのでもう帰れない。と
黄泉国の穢れた火で作った食事を食べた者は重い穢れを負ってしまい、もう決して元の世界
に戻ることはない。
しかしイザナギの戻って欲しいという必死の熱意に、妻のイザナミはそれでは黄泉国の神々
にお願いしてみます。と言い、そのかわり自分が戻ってくるまでどのようなことがあっても
黄泉国の中をのぞかないで下さい。 と念を押し約束させた。
イザナギは長い間待っていたが、ついに辛抱できず頭の櫛に火をつけて灯にして黄泉国の
中に入っていった。するとそこには蛆が涌きドロドロに腐った妻の体とそこに生まれた
不気味な八体の雷神がいた。
その時、イザナギを見つけて泉津醜女(よもつしこめ)たちが追いかけてくる。
イザナギは必死の思いで逃げながら髪飾りを泉津醜女たちに投げつけた。それがみるみるうちに
ブドウの実になった。泉津醜女たちがそれを食べている間も逃げるが食べ終わると又、追ってくる。
今度は、櫛を投げた。それが筍になった。それを食べている間も逃げ続ける。しかし、イザナミ
の腐った体から生まれた八体の雷神と千五百人の黄泉の軍勢が泉津醜女の後から追いかけてくる。
イザナギは黄泉比良坂(よもつひらさか)まで逃げてきて、三個の桃をとって投げつけようやく
黄泉国から逃げることができた。

*桃の実を投げる----中国陰陽五行思想より来るもので、桃は邪悪なものを退ける呪物と
         されている。道教の神・西王母(さいおうぼ)の好む木の実とされている。

イザナギは桃の木に「人々が苦しんでいるときの助けとなれ」と意富加牟豆美命
(おおかむづみのみこと)という名前を授けた。その時、イザナミが髪を振り乱して追いかけて
くるのが見えた。イザナギは巨大な石を、この世とあの世とをつなぐ黄泉比良坂に
置き妻のイザナミに別れを言い渡した。

「建絶妻之誓(ことどわたす)」と。

それを聞いたイザナミは「それならば私は一日千人を殺そう」と呪いの言葉を吐いた。
イザナギはそれに対して「それなら私は一日に千五百の産屋をたてよう」と。その為
つねに死亡する人数より多くの人産まれることになった。と

黄泉国から戻ったイザナギは「自分は大変穢れてしまった」といい身を清めようと考えた。

穢れを清める為に禊をして祓う
イザナギは「筑紫の日向の小戸の橘の檍原」を祓いの地と定めてその川に入って身を清めた。

*補足説明
1.イザナギが斬り殺した火の神・軻遇突智だが、この時にも多くの神が誕生している。
 そのなかで、経津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)は後に
 出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の国譲りのときに活躍することになるので
 ここに挙げておく。
2.又、異伝のなかで火の神・軻遇突智が「埴山姫(はにやまひめ)」という土地の神と
 結婚して「稚産尊(わかむすび)」という女神をもうける。この女神の頭の上にはカイコ
 とクワが、臍には米、麦などの五穀ができたとある。これらは火と土の神との交わりによる
 農耕、養蚕がかなり以前から始まっていたことを意味する。
3.古代人は水で体を清めたり、塩をまいたりして穢れを祓う禊の行為を重要な儀式と
 考えていた。この風習は現代にも受け継がれている。神社に参拝する前に手と口を
 すすぐことや、賽銭も自分の穢れを銭につけて神前にささげ神に浄めてもらうことや
 相撲のときに塩をまいて土俵を清めることも祓いである。

イザナギは独り言を言う。「上の瀬は大変流れが速い。下の瀬は大変流れが弱い。」と
中の瀬ですすぎをすることにした。
それで自分が身につけていたものをそれぞれ投げ捨てる。
杖が岐神(ふなとのかみ)、帯が長道磐神 (ながちはのかみ)衣が煩神(わずらいのかみ)
褌が開囓神(あきくいのかみ)履が道敷神(ちしきのかみ)として生まれる。

*中の瀬ですすぐと八十柱津日神(やそまがつのひかみ)次に神直日神(かんなおびのかみ)
次に大直日神(おおなおびのかみ)が生まれ、水の底ですすぐと底津少童命
(そこつわたつみのみこと)次に底筒男命(そこつつおのみこと)水の中ほどですすぐと
中津少童命(なかつわたつみのみこと)次に中筒男命(なかつつおのみこと)
水面ですすぐと表津少童命(うわつわたつみのみこと)次に表筒男命(うわつつおのみこと)
と九柱の神が生まれた。
それから後、左の眼を洗うと天照大神、右の眼を洗うと月読尊(つくまのみこと)又、
鼻を洗うと素戔鳴尊(すさのおのみこと)が生まれた。この三柱の神は日本神話の核を
形づくる神であり一般的には三貴子誕生といわれる。

伊弉諾と伊弉冉の神は国土創造神であり、天照大神の親である。ところがこの二柱の神が
神話のうえで重視されるのにもかかわらず、天皇家・大和朝廷が祭祀したという形跡が
全くないのである。何故だろうか?又、律令や「延喜式」にもこの二柱の神に関するものは
全くない。どうしてだろう?。



続きは、十月十五日更新予定の第十一回、十二回に・・・



 

青山 恵

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