万葉余聞 第十一回

神域其の三




何故か?について考察する前に、もう少し先に進んでおきたい。
実はこの三貴子誕生に関する部分については異伝が多く困惑してしまう。
しかし、そうも言っておれないのでこの後の展開について説明しておく。

イザナギは天照大神に高天原を月読尊には夜の世界を、素戔鳴尊には海原を
治めるように命ずる。しかし、素戔鳴尊は海原を治めるのを嫌がったので追放
される。素戔鳴尊は根の国に行こうと考えたが、その前にひと目姉の天照大神
に会っておこうと高天原に行く。

高天原 (たかまがはら)
スサノオが高天原を訪ねるとアマテラスは弟が悪い心を持って自分の領地を
奪いに来たものと疑う。

誓約(うけい)
スサノオは身の潔白を証明する為におたがいに子供を生む誓約をしようと提案する。
・スサノオは十握の剣をアマテラスに託す。
 アマテラスは十握の剣を三つに折って噛み切り、吹き出す細かい霧から
 田心姫(たこりひめ)湍津姫(たぎつひめ)市杵嶋姫(いつきしまひめ)
 の三柱の海神が生まれる。これを宗像三神という。
・アマテラスは自身のみづら及び腕に巻いている八坂瓊の五百筒の御統(やさかにの
 いおつのみすまる)を スサノオに託す。
 スサノオはそれを噛み砕き、吹き出すこまかい霧から、天忍穂耳尊(あまのおしほみみ
 のみこと) 天穂日命(あまのほひのみこと) 天津彦根命(あまつひこねのみこと) 海津彦命
 (いくつひこねのみこと)(くまのくすひのみこと)の五柱の神が生まれた。
・アマテラスが語る。元を尋ねれば、八坂瓊の五百筒の御統は私の物である。
 だからこの五柱の神は悉く私の児であると。又、その十握の剣は素戔鳴尊の物である。
 だからこの三柱の女神は悉くそなたの児であると。

イザナギとイザナミの二柱の神による国生みで「記」「紀」ともに最初に創造されるのは、
淡路州である。又、この島に伊佐奈伎大社があり朝廷から一品(いっぽん)という最高の
位階が与えられている。又、近江国の多賀神社はイザナギを祭るもうひとつの有力な神社
である。この二柱の神にまつわる伝説は風土記も含めて淡路州を中心に分布する。
従ってもとは淡路島の航海民が古くから祭っていた神であり、彼等が伝えてきた天地創造
神話がこの時点で強大な権力と武力を蓄え、ほぼその全域(大八州)を押さえた大和朝廷
が自らの神話の体系の中に取り入れるとき、この二柱の神が天照大神の両親の位置に組み
込まれたと考えられる。いいかえれば、この二柱の神以外にもその役割が神話上の抽象的
かつ概念的な神でしかなく、特に祭られている神ではなかったのではないか?

ここで少し長くなるが、森浩一氏の「日本神話の考古学」から引用させていただくことにする。

淡路は前章で述べたように「記・紀」ともに国生みにさいしてはじめて創造されたとする島
である。瀬戸内海最大のこの島にはいくつかの後期古墳はあるけれども、前方後円墳の存在は
認められていない。このことは律令体制で「国」扱いされている対馬、壱岐、隠岐の島々には
前方後円墳が認められていることに比べると淡路の特異性といってよかろう。島の広さや生産力
さらに水上交通での重要性などからみて、十分いくつかの前方後円墳をのこせるはずであるから
この島を大和の人々たちは聖域視していたのかも知れない。

このように誠に示唆に富む指摘であるので引用させていただいた。

天照大神と素戔鳴尊とがお互いの持ち物を取り替えて、子供を生む誓約(うけい)により皇祖
にあたる天忍穂耳尊が生まれた。正式の名は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつ
かちはやひあまのおしほみみのみこと)という。この神は神話の中では極めて影が薄い
存在である。親の天照大神に地上に降臨するように命じられたが一転中止となり、生まれたばかりの
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)にその任務を譲る。又、これ以降も全く登場しない。しかしこの神を
作って入れることにより、初代の神武天皇が天照大神の五世の孫になる。その理由は?

又、又、ここで引用を許していただくことになる。
武光誠氏の「日本の神々の謎」

六世紀初頭に皇位をついだ継体天皇が、応神天皇の五世の孫に相当することと関わる。継体天皇
の直前の武烈天皇が亡くなったときに、応神天皇の次に仁徳天皇の系譜を引く皇族が全く
いなくなった。その為、仁徳天皇の弟の若野毛二俣王(わかのげふたまたのみこ)の子孫で
越前、近江に勢力を張っていた継体天皇が迎えられたのだ。そのことによって、継体天皇の
系譜を引く諸天皇が「五世の孫」という立場に特別の意味を付するようになった。その為、
神武天皇が天照大神の五代目とされたのだ。その影響は八世紀初頭の「大宝律令」の天皇の
五世の孫までの者は皇族として扱われ皇位をつぐ権利をもつとする規定にまでつながっている。

前記の引用の中で私が特に注目するのは、五世の孫までを天皇位を継ぐ権利があると明文化
されていることである。つまるところ日本神話の成立は比較的新しいものであるといえる。

続きは次回の最終回で



万葉余聞 十二回

神域其の四


天照大神と素戔鳴尊は誓約(うけい)により、素戔鳴尊に悪心のないことが
証明された。それ故、高天原(たかまがはら)に住むことが許された。しかし、
素戔鳴尊は次々と乱暴を始めた。又その乱暴はいっこうにおさまらなかった。
そして極め付けは、天斑馬(あめのふちごま)__[ 高天原にいる毛色のまだらな神馬。]
この馬を逆剥(さかはぎ)__[もともと馬を犠牲にする祭祀で捧げ物にする馬の皮は、
頭の方から剥ぐ物とされていたのにかかわらず、これを尻の方から剥いだのである。]
これは災害をまねくものと強く信じられていた。しかもそれを天照大神が神衣を織らせて
いる御殿に投げ込んだ。そのため衣服を織っていた女官が驚いて、女陰(ほと)を
梭(ひ)__[ 横糸を通す板。]に当てて死んでしまうのである。天照大神は、今までの乱暴は
許してきたけれど、今回の乱暴ばかりは許せず、ついに怒って天岩戸(あまのいわやど)
にかくれてしまう。

このときのようすを原文で見てみる。
古事記

かれ        あまてらすおおみかみ みかしこ     あま   いわやと   ひら
故、ここに天照大御神見畏みて、天の岩屋戸を開きてさし
こも                 たかま  はら みなくら あしはらのなかつくに ことごと くら
籠りましき。ここに高天の原皆暗く、葦原中國 悉に闇し。
             とこよ ゆ
これによりて常夜往きき。

日本書紀

このとき  あまてらすおおみかみ おどろ  たま      ひ   も   みみ  いた
是時に天照大神、驚動き給ひて、梭を以て身を傷ましむ。
これ  よ     いかりま      すなわ あまのいわや  い           いわと    
是に由りて発慍して、乃ち天石窟に入りまして、磐戸を
 さ      こも  ま       かれ  あめつち  うち  とこやみ        よるひる  
閉ざして幽り居しぬ。故、大合の内、常闇にして、晝夜の 
あいかわるわき し
相代も 知らず。

現代語訳するまでもなく、要するに天照大神が怒って、天岩戸にかくれてしまったので、
夜昼の区別なく常闇になってしまったということになる。この部分では古事記・日本書紀
ともに余り内容に違いはないのであるが、日本書記のほうで、神衣を織っていたのは天照大神
自身であること。どうもこの部分が気にかかる。それで日本書紀原文の注釈を詳しく調べて
見ると、以下のような注釈に行き当たった。

・・・さて本伝の趣きでは、大御神自身が機を織って御出に成り、而して梭を以て其の御身
を傷め給へる由であるが、下の第一別伝の趣きは余程異なっているから、見合わすべきである。
とある。
                     飯田季治 著
                   日本書紀新講 上巻

本題に戻ろう。常闇ではどうにもならない。それで八十萬の神々が集い前後策を相談する
ことになる。とにかく急いで先に進もう!

神々は天の安河に集い、常闇から脱する方法を相談した。
先ずはじめに、
高皇産霊尊(たかむすひのみこと)子の思全神(おもいかねのかみ)が常世の
長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集めて一斉にときの声をあげさせた。
__[ 隠れた太陽を呼び戻すということ。]
次に
天津麻羅(あまつまら)は剣を鍛え、石凝姥(いしこりどめ)は八咫鏡(やたかがみ)を鋳造し、
玉祖命(たまのやのみこと)八坂瓊勾玉(やさかにのまがたま)を作った。
次に
天児屋命(あめのこやねのみこと)と太玉命(ふとたまのみこと)は天香山の肩の骨を焼いて占い
をし、又、天香山の榊(さかき)を取って、上の枝に勾玉、中の枝に鏡、下の枝に白い幣(ぬさ)
__[ こうぞの皮で作る。] 又、青い幣__[ 麻で作る。]  をかけた。太玉命がそれをささげ、
天児屋命が祝詞(のりと)をよんだ。
そして
大力男の手頭雄神(たじからおのかみ)が天の岩戸に隠れ、岩戸を押し開く態勢にはいり、
全てが整った。
最後に、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が登場する。
この部分を古事記原文でひいてみる。

あめのうずめのみこと            ひかげ   たすき   か               
天宇受賣命、天の香山の日影を手次に繁けて、
あま  まさき   かづら                   ささは    たぐさ  ゆ      
天の真折を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、
あま   いわやと    うけふ    ふ   とどろ     かむがか        むなちち  
天の岩屋戸に槽伏せて踏み轟こし、神懸りして、胸乳を
    い   もひも   ほと  お   た             たかま   はらとよ    
かき出で裳緒を陰に押し垂れき。ここに高天の原動みて、
やそよろず   かみとも  わら                                    
八十萬の神共に笑ひき。

現代語訳・その前に原文は注釈において、名義未詳がやたらと多い。つまり意味不明
というところである。従ってそれらを省き大意だけを説明することにする。
天宇受賣命が踊り始めた。胸をはだけてはねまわった為、乳が丸出しとなり、それでも
なお神憑りになったように踊り続けた。天香山の榊を頭飾りにし、ひかげのかずらを
たすきにし、かがり火を焚き、桶を伏せてその上に乗り踊り狂った。ついに女陰(ほと)
が見えかくれした。そこで高天原はどよめいて、八百萬の神はいっせいにどっと笑った。

天照は外の騒ぎを不思議に思った。何故なら自分が天の岩戸にかくれている限り、
高天原も葦原中国も常闇のはずである。何故、天宇受賣命も八十萬の神々も笑い騒いで
いるのだろう?と。
天照は岩戸を少し開けて外の様子を見ることにした。その時すかさず天宇受賣命が天照に、
「あなたよりもまして貴い神が現れたので皆で喜び騒いでおります」といった。
その間に天児屋命と太玉命が鏡を天照にさし出した。すると天照はその鏡に映った輝くような
自分の姿を見て不思議に思い、さらにその身を岩戸より外に乗りだした。その時、すかさず力持ち
の手力雄神が天照の御手を取り外にお出し申し上げた。そして大玉命がすばやく天岩戸に注連縄
を張り、「これより内に還りたまうことはなりません」といった。

「高天原の神々」
天津麻羅(あまつまら)
石凝姥(いしごりどめ)
玉祖命-天児屋命(たまのやのみこと)-あめのこやねのみこと
手力雄神(たじからおのかみ)
天鈿女(あめのうずめ)

天照大神が出てこられたので、高天原も葦原中国も常闇から脱して人々を再び照らすようになった。
素戔鳴尊の乱暴により、常闇となったことで八十萬の神々は彼を罰する会議をした。
神々は素戔鳴尊に千座置戸(ちくらおきど)と呼ばれる多くの財物を出させた。さらに髪の毛
を刈らせ、手足の爪を切らせ、穢れを清めさせた。そして高天原から追放する決定を下した。

・災いをなす神を退けることを「神夜良比(かむやらい)」 という。

ここで少し捕捉しておく「古事記伝」
このあと素戔鳴尊は地上に降りる前に、大宣津比売(おおげつひめ)__[食物の神]
を訪れて食物を求める。比売は鼻や口や尻から色々の食物を取り出して、尊にさし出す。
ところが穢汚(けが)して奉進(たてまつ)ると怒って、比売を殺してしまう。
ところがその比売の身より、さまざまな穀物が生まれる。頭には蚕、目には稲、耳に栗、
鼻に小豆、女陰に麦、尻に大豆が生じた。それら五穀の種を神産巣日(かみむすび)の
御祖命(みおや)が人々に授けた。___この部分は日本書紀には出てこない。

*後記
このシリーズもいよいよ大詰めまで駆け足でやってきたけれど、やはり難解である。
何度も書くのだけれど、頭の中で整理ができているようでも、いざ書き進めてみると
まとめるというような離れ業はとてもできない。例えば今回の最後の方で素戔鳴尊
が高天原から追放される。そのあと古事記では五穀の起源として、大宣津比売が
登場するが日本書紀では全く登場せず、唯ある一書に曰くとして、次々とある一書に曰く
と続く。そして記・紀ともにともに次は余りにも有名な素戔鳴尊の八岐大蛇退治が続く。
実は今回で神域シリーズは終えたかったのだが、次回に譲ることにして最終回とし、
本来の万葉集に戻りたいと思う。



 

青山 恵

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