万葉余聞 第十三回  

神域 其の五



 


 

 

高天原を追放された素戔鳴尊は、出雲の国の簸の川上 に降りた。
このとき、一人の少女を中に老夫婦が泣いているのに出会う。不審に思った
素戔鳴尊は、何故そのように泣いているのかと聞くと、それに答えて
「私はこの国の住人で名 は脚摩乳(あしなづち)といい、妻は手摩乳(てなづち)と
いいます。この童女は私達の子で 名は奇稲田姫(くしいなだひめ)といいます。泣いている理由
は、以前に八人の娘がありました。 毎年、八岐大蛇(やまたのおろち)のために一人ずつ
呑まれてきました。最後にこの娘だけが残 っているだけとなります。やがてこの娘も呑まれようと
しています。のがれる方法もなく、 それで悲しみ泣いているのです。」 と答えた.
素戔鳴尊は老夫婦に、この娘を欲しいと告げる 。老夫婦はそれに答えて、あなたのお名前を
聞いておりませんという。素戔鳴尊は、
「吾は天照大神の同母弟なり。故今、天より降りましつ。」という。
老夫婦は「然まさば恐し。 立奉らむ。」という。
そこで素戔鳴尊はその娘(奇稲田姫)を瞬時に櫛に変えて、自身のみずら に差した。
そして、老夫婦に八岐大蛇退治の方策を色々と指示した。

「よく醸した酒を用意 させて棚八面を設け、その各々に酒を入れた桶をおいた。」

そして待つことになった。
果た して大蛇がやってきた。頭と尾がそれぞれ八つあり眼は赤酸漿(あかほうずき)
のようであり、 又、その大きさは、八つの山いっぱいにひろがっていた。八岐大蛇は
酒を見つけると、それぞれ の桶の中に頭を入れて、酒を飲み始めた。
やがて酔いつぶれて眠ってしまった。素戔鳴尊は素速 く腰の十握剱(とつかのつるぎ)
をぬいて斬り刻んだ。尾を斬るとき、刃が少し欠けた。そこで その尾を剱で割ってみると
一本の剱が出てきた。これがいわゆる草薙剱(くさなぎのつるぎ) である。
素戔鳴尊は、不思議な剱だとあやしんで自分の物にはできないと思い、天照大神に
献上した。

ここまでのところで少し捕捉しておく。

先ずこの 時点に至って始めて三種の神器なるものが出揃ったことになる。八坂瓊勾玉
(やさかにのまがたま)八咫鏡(やたのかがみ)草薙剱(くさなぎのつるぎ) である。
しかし、素戔鳴尊の八岐大蛇退治で大蛇の尾から でたとする剱のところで、古事記では
[ 都牟刈の太刀( つむがりのたち)ありき ]とあり、これを不審に思って調べてみたけれど
明快な解答が得られず、行き当たったのは「語義未詳」であった。それ以外 は日本書紀
ともにほぼこの部分の内容は、漢字表記の違い を除けば一致している。
しかしである。更に正確にいうなら 、本来、天の業雲剱(あめのむらくものつるぎ)という
べき ものであろう。その故は、大蛇のいる上には常に雲が漂っているゆえにそのように
名づけたとある。
日本書紀___一書にいう 。日本武尊に至って名を草薙剱と改めたとある。___更に不思議
である。日本武尊といえば第十二代・景行天皇の息子(みこ)である。つまり神代の人物ではない 。
とりあえず先を急ぐことにする。駆け足が約束のはず!!

次は童話などに度々出てく る大国主命(おおくにぬしのみこと)と八十神(やそがみ)との
争いの話であるが古事記伝だ けである。日本書紀は何故か黙して語らない。
大国主命は素戔鳴尊の六代目の子孫だとされる。 母は刺国若比売(さくくにわかひめ)で
八十神といわれる多くの兄達がいて、いつも従者のよう に使われていた。これを負嚢者(ふくろかつぎびと)といい、旅行道具やその他色々な物を袋に詰め てつき従って歩く。いわゆる賎業である。

いなば しろ うさぎ
稲羽の素兎
一般的には因幡の白兎と書きたいところだけれど原文は前記のようになっている。
又、素兎(し ろうさぎ)の素(しろ)について言及するなら、それは無色という意にとらえるなら、
無色は白 (しろ)ということになっても不思議ではないと思われる。いかがなものか。

又、賎業を意味す る負嚢者(ふくろかつぎびと)が大国主命の最初の姿であり、後世に創造
された金銀財宝を袋に 詰めている姿の大黒天とは別物である。

さて物語の先へ進む
八十神達と従者として袋をかつ ぎつき従う大国主命の一行は因幡の国をめざしていた。
その理由は、絶世の美女として名高い八 上比売(やがみひめ)を得る為である。一行が
因幡の海岸に着いたとき、丸裸(皮がすっかり剥 がれている)の白兎が海岸にふるえて
伏せていた。

物語をスムースに進める為、ここより独 断により白兎の独白とする。

白兎はもともと隠岐島に住んでいた。以前から何とかして本土に渡り たいと思っていたが、
そのすべがない。色々と考えたあげく一計を案じた。その案とは海に住む鰐(わに)を呼んで
「私の一族とあなたの一族とどちらの数が多いかくらべてみませんか、」 と提案した。
その方法として、この隠岐島から気多の前(けたのさき)__[鳥取市気多岬] まで伏せて
並んで下さい。私がその上を渡って数えましょう。とこの兎の申し出を鰐はうかうか
うけ入れてしまった。兎は鰐の背中を渡りながらほくそえんでいた。

この部分を原文で引いてみる。
              い          あざむ      な   ふ      とき
____かく言ひしかば、欺かえて列み伏せりし時、
あれ    うへ   ふ      よ   わた        いまつち  お        とき
吾その上を踏みて、讀み渡りきて、今地に下りむとせし時
あれい         な   われ  あざむ           い   お    すなわ
吾云ひしく「汝は我に欺かえつ。」と言ひ竟はる即ち、
いやはし  ふ       わに  あ   とら     ことごと あ   きもの
最端に伏せりし鮫、我を捕らえて悉に我が衣服を
は                   な   うれ
剥ぎき。これによりて泣き患ひひしかば____

もうあと一歩で岸に着くという時に白兎が思わず言ってしまう。お前は、私に欺かれたのだ!と。
ところが一番岸に近い鰐はそれを聞いて怒り、白兎の皮を剥いでしまう。それ故海岸で伏し
泣いていたのである。

そこに行き当たったのが先を歩いていた八十神達である。泣き伏している白兎を見て、
海水を浴びて風に当て伏せておれと、意地悪にも逆のことを教える。海水の塩分が風に当たり
快方にむかうどころか逆効果となって苦しんでいた。あとから八十神達の袋をかついでやってきた
大国主命はそれを見て、急いで河口までゆき淡水でその身を洗い蒲の花粉をとって敷き散らし、
その上に寝ころがっていると元の膚にもどるだろうと教える。果たして兎は元のように白い毛が
はえ揃った。___これ稲羽の素兎なり。とある。このあと大国主命のあとを追ってきて、
八十神達は八上比売を得ることはないでしょう袋をかついでいても、あなたが八上比売を
得るでしょうといった。

こののち八上比売は八十神達の求婚を断り大国主命の妻となった。
これに怒った八十神達は大国主命を何度も殺すことになる。その都度、母の刺国若比売が
高天原につき神皇産霊尊(かみむすひのみこと)を訪ねた。そして何度の生き返る方法を
教わった。特に火傷で死んだ時などはキサ貝比売(きさがいひめ)、蛤貝比売(うむがいひめ)
を地上に送り出した。

*キサ貝比売(赤貝)、蛤貝比売(はまぐり)
けずりおとした赤貝の粉を集めて、それを蛤の汁で溶いて患部に塗った。火傷にたいする古代
民間療法のひとつ、とある。

ついに八十神から逃れて素戔鳴尊のいる根国に行く。そこで娘の須勢理比売(すせりひめ)
と逢いたちまち深い仲となる。素戔鳴尊は大国主命に四つの試練を命じる。
蛇の部屋、ムカデと蜂の部屋、野火、ムカデののみとり。

大国主命は須勢理比売の助けや自分の機知により、それらを乗り切り、姫を地上に連れ帰り
妻とした。
このあと、大国主命は出雲の美保の崎に行く。このとき神皇産霊尊(カミムスヒノミコト)の子
の少彦名命(スクナヒコノミコト)と出逢う。
二人で国を作るように命ぜられる。この部分は出雲神話の核である。少彦名命と大国主命は
国作りにはげんでいた。ところがある日、淡路島の栗の茎に乗って遊んでいたところ茎の
しなりにはじかれて常世国に飛んでいってしまった。
大国主命は少彦名命が去ってしまったので、自分一人では国作りもかなわなず困っていると、
海上を照らしてやってくる神がいた。その神は「私は幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)
である。私をやく祭れば、うまく国作りができるだろう。」と。
それで、どのようにお祭りすればよろしいかと問うと、「大和の国の三諸山(三輪山)に
私を祭りなさい」との答があった。これが大物主神(おおものぬしのかみ)である。

*捕捉
大国主命は色々な名前を持つ。
大物主神(おおものぬしのかみ)、大己貴命(おおあなむちのみこと)、
葦原醜男(あしはらのしこお)、八千矛神(やちほこのかみ)
大国玉神(おおくにたまのかみ)、顕国玉神(うつしくにたまのかみ)


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青山 恵
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