万 葉 余 聞 

文・・・青山 恵



目 次
万葉余聞 六
万葉余聞 七
万葉余聞 八
 

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万葉余聞 六
 吾はもや やすみ児得たり 皆人の
      得かてにすとふ やすみ児得たり
         中臣鎌足 巻二ー九五

歌意
  わしわついているぞ、美しくて有名な妥女の安見児を賜ったぞ、
  誰も得ることができないと言う安見児を、このわしに賜ったのだ。

天智天皇のあつい信任を受けていたとはいえ、あとにもさきにも妥女を賜る
ということは記録にない。このとき鎌足は五十歳を過ぎていたと思われるが、
この権謀術数に長けた老練政治家の誰はばかることのない喜びはどのように
解釈すれば良いのだろうかと思わずにはいられない。しかし、古来この妥女
に手を出して、ひどい目にあった男は数しれない程なのである。
従ってよく考えてみるとやはり大変な名誉を意味していたのかもしれない。
ここで妥女について少し論述しておく必要があるだろう。「うねめ」は
本来、天皇の公的な婚姻の対象であったとされているけれど、それ以前
には在来土着の土地の神を祭祀する祭祀者の娘が国の統治者の配偶者と
なることからきたもので、これによって始めて在来土着民族の在来神に
受け入れられる為の正当性を得るのである。大伴氏や物部氏などのように、
その祖先から久米部の強兵を率いて皇室の親衛にあたってきた「連」系の
氏族と和珥氏などの「臣」系の氏族とは明らかに性質の違うものなのであった。
それというのも妥女は「連」系の氏族からではなく、土着の豪族である「臣」系の
氏族からしか出されていないのである。又、妥女自体は時の経過と共に徐々に
形骸化してゆくのである。次にあげる歌は志貴皇子(父は天智であるが母は妥女である)
の有名な歌であるが持統女帝が次第に手狭になった思い出深い飛鳥淨見原宮から
新しい都として我が国で始めての本格的な都として造営された藤原宮への引越の直後の
歌であるが、当初の妥女のイメージからはかなりかけ離れて、ただの少女の
意味に化している。

妥女の 袖吹きかへす 飛鳥風
    みやこを遠み いたづらに吹く
      志貴皇子・巻一ー五一

歌意  美しい妥女の袖を吹き返していた飛鳥の風も都が移されて遠くなってしまったので
    むなしく吹いていることよ。

さてここで先述の鎌足に戻ることにしたい。それには理由がある。   
この歌こそが、古代史の「この時期」を揺るがせてきたのである。

中臣御食子  鎌足(推古22年〜天智8年) 不比等(斉明5年〜養老4年)
            614年〜669年            659年〜720年

中臣氏は代々、神祇官として祭祀を司る系統であるが鎌足は天智の右腕として
活躍し、五十五歳で亡くなる時、最高位の大織冠と藤原姓を賜るのである。
以後、藤原鎌足となる。問題は妥女の安見児である。彼女を賜ったとき、既に
天智の子を宿していたのではないかという疑いは古来囁かれてきたことなのである。
今となっては真偽の程はわからないが鎌足の子の不比等はもしかすると天智の子で
あったとするとどうなるのか? 実は納得のいくことが不比等の子供達の間で展開
されてゆくのである。それは次の回にゆずることにしよう。



 
 

万葉余聞 七

古代より民衆は祭祀と血筋の正当性が確認されなければ決して統治者として信従しなかったのである。
従って天皇を取り巻く女性に関しては厳然とした序列があった。それは皇后、嬪、妃、采女であり皇統を
継ぐ最有力は皇后の子供達ということになる。
しかし日本書紀を詳細に検討してみると当初、皇后は子に譲るよりも弟に譲るほうが普通であったようである。
理由としては色々考えられるが同母弟であれば、その出自に何ら問題にならないということ。
又、ほぼ成人していると見ることができる。実は成人しているか否かは意外と重要 なことなのである。
当時の出生率もさることながら乳幼児の成育そのものが現在とは比較にならないだろう。風邪を引いても
肺炎を併発して死に至るのである。ましてや皇位継承者が幼少で有る場合、各豪族の 政治的バランスが
崩壊しやすく既存の体制転覆という最悪のシナリオが表面化すると予想される。
しかしその後、幸か不幸か大和朝廷は唐風法治制度を順次取り入れることで律令制度が整備されてくると
各豪族の官僚代が進みそれと同時に皇統も兄から弟へという従来の姿を徐々に変質させ、親から子へと
制度化 されてゆくのである。
繰り返すようだけれど、古代史最大の争乱といわれる壬申の乱についていま少し言及してみる。六七一年、
天智即位後四年病に倒れ死の近いのを感じて、皇太弟・大海人に皇位を譲ろうとしたが弟はそれを辞退する。
下記の如く日本書紀は記す。

                     「 臣の不幸、元より多くの病・有。何にとぞ能く社稷を保たむ。
                     願くば陛下・天下を挙げて皇后に附け、即ち大友皇子を立てて、
                     宜しく儲君と為たまへ。と。・・・・・」

 私は不幸にして元から多くの病気があり、とても国家を治めることはできません。願わくば、陛下の英断で
皇后に天下を託して下さい。そして大友皇子を立てて皇太子として下さい。と・・・・

何故、この部分を引用したのかとうと、弟の大海人が兄、天智帝に皇位は皇后に託して下さいという部分である。
皇后の倭姫は舒明帝が采女の伊賀采女宅子娘に生ませたのが大友皇子である。天智の長男で二十四歳、
太政大臣であった。しかし、采女の子が天皇位を継ぐというのは歴史上一例もない。皇太弟・大海人は
危険を感じたのか吉野に脱出する。
このときのことを日本書紀はこう記す。

ある人が言った。「虎に翼をつけて野に放つようなものだ」と。
  この八ヶ月後の、六七二年六月二十二日、大海人は吉野で兵を挙げる。壬申の乱である。
争乱はほぼ一ヶ月続いたが七月二十三日、大津近江京は全焼し、大友皇子は山崎で二十五歳の生涯を
とじる。大友皇子には当時の社会通念からいって皇位を継ぐ為の決定的なハンデがあった。
それはいうまでもなく 彼の母が采女であったということである。

さて前回の宿題を終えなければならない。
不比等が天智の子ではないかという疑いの件である。
冒頭にも書いたが血筋と正当性の確認がどれ程重要であるかということなのだが少し整理してみよう。
 

1、舒明夫妻の子供達がこのあと皇統を守り継いでゆくことになる。

2、文武は持統の孫、二十五歳在位のまま病死する、皇位は母の元明が継ぐ、不比等の娘、宮子との間に
首皇子が残される。この時点で不比等は文武朝の外戚となる。
七一六年疲労を理由に娘の元正に皇位を譲る。文武の姉である。そして文武の遺児首皇子は十六歳
に成長していた。

3、橘三千代はじめ栗隅王の子、三野王の妻として葛城王を生む。のちの橘諸兄である。
その後、不比等の後妻となり安宿姫を生む。のちの光明子で聖武の妃となる。

4、文武の妃・宮子、聖武の妃・光明子、いずれも不比等の娘である。
 


万葉余聞 八

日本書紀・推古紀

十五年秋七月三日

大社小野妹子臣を大唐(隋)遣わされた。鞍作福利を通訳とした。

十六年夏4月

小野妹子は大唐(隋)から帰朝した。隋の国では妹子臣を名づけて蘇因高とよんだ。

大唐(隋)の使人裴世清(はいせいせい)と下客(しもべ)十二人が妹子に従って

筑紫についた。難波吉士雄成(なにわのきしおなり)を遣わして、大唐(隋)の客

裴世清らを召された。大唐(隋)の客のために新しい館を難波の高麗館の近くに造った。

六月十五日、客たちは難波津に泊まった。この日飾船三十艘を以て、客人を江口に迎えて

新館に入らせた。中臣宮地連鳥麻呂(なかとみのみやどころのむらじおまろ)

大河内直糠手(おおこうちのあたいぬかて)船史王平(ふねのふひとおうへい)を

接待係とした。

ここから問題の部分となるので書記原文を引くことにする。

 

以下この原文を口語訳すると

妹子臣は奏上して「臣が帰還の時、隋の煬帝が国書を私に授けました。

然るに百済国を通る時、百済人が探りこれを掠めとりました。その為、国書を

お届けすることができません。」と。

群臣はこれを問題として議り「使者たる者は命をかけても任務を果たすべきであるのに、

この使いはなんという怠慢で大国の書を失うようなことをしたものか。」

といった。これは流刑にするべきであると。

この時天皇(推古女帝)は「妹子が書を失った罪はあるが軽々と処罰してはならぬ。

大唐の客人への聞こえも良くない。」

といわれた。それ故、赦して処罰されなかった。
 

このシリーズ「万葉余聞 第四回」に、推古治世で聖徳太子が隋帝国の煬帝を激怒させた

という外交文書のことは既に書いている。

私見であるが、小野妹子は煬帝からの国書を失ったのではなく当初から持ち帰ることが

できなかったのではないか?

何故なら激怒する煬帝が無礼な国書に返書を妹子に与えるはずがないからである。

当時、世界一を誇る文化国家・隋にしてみれば当然であろう。百歩譲って国書を失ったとして、

それが事実なら前代未聞のことであり死罪は免れないところである。

ところが何事もなかったかのようにすんなりと許されている。又、このあと秋八月三日、

隋使・裴世清以下十二人の使の客は都へはいる。この日飾馬七十五匹を遣わして、海石榴市

の路上で隋使を迎えたとある。このあと天皇に謁見し、裴世清が書を奏上する。

                                                             文・青山 恵

             


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 青山 恵

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